「働きたい女性」という言葉、どんな女性を思い浮かべますか?実は、この言葉には二つの意味が隠れているんです。一つは、生活費を稼ぐ必要がなく、自己実現のために働く女性。そしてもう一つは、生活費や教育費を稼ぐ等何らかの事情で、働かざるを得ない女性。どちらも「働きたい」と言っても、その背景は大きく異なります。
そして、この二つの違いには、日本社会の「男性が生活費を稼ぐべき」という価値観が関わっているのかもしれません。
1. 自己実現のために働く女性
まず、最初のタイプの「働きたい女性」は、生活費を稼ぐ必要がないからこそ、自己実現のために働いている女性です。この場合、働くことは「生活のため」ではなく、「人生を充実させるため」に近いもの。たとえば、結婚して子どもがいる女性が、家庭の生活費は旦那が支えてくれているので、年収にはそれほど拘らず、自分は趣味の仕事をしたり、社会貢献をしたり、社会とのつながりを深めたり自分のスキルを活かした副業をしているケースが増えてきています。
そうした働き方は、言ってみれば「贅沢な働き方」に見えるかもしれません。
2. 働かなくてもいいなら働かないけど働く女性
一方で、「働きたい女性」と言っても、必ずしも自己実現のためだけではありません。多くの女性が、生活費や教育費を稼ぐために働いています。もし、生活費を稼ぐ必要がなければ、働かなくてもいいと思う人だってたくさんいるはずです。仕事は「ライフワーク」ではなく、何らかの働かざるを得ない理由で働いているわけです。
この場合、働くことは「必要だから仕方なくしている」という気持ちが強く、育児と仕事を両立させるのは大変ですし、そんな現実に悩みながら働いているかもしれません。(私の母はかつてそうでした)
3. 男性の場合、「働くことが当たり前」という社会的な期待
ここで考えるのは、女性には「働きたい」と言うときに二つの意味があるのに対し、男性にはその選択肢があまりないという現実です。社会的に、男性は「働くことが当たり前」「家計を支える責任がある」といった強い期待を受けています。だから、男性が「働かないで主夫をする」となると、まだまだ抵抗感が強いです。
つまり、男性が自由に「働かない」という選択をするのは、社会的に受け入れられにくいのです。これは、家庭内での役割分担に対する社会的な偏見から来ている部分が大きいと思います。男性も「働かなくていいなら働かない」と思うことはあるはずなのに、実際にはそれが許されにくい、という現実があります。
4. 文化的背景と社会の期待から
日本の社会において、長い間「男性は外で働き、女性は家庭を守る」という価値観が標準とされてきました。この考え方は、現在では大きな声で言うとパワハラ、セクハラ等になりますが、それでも今でも強く根付いていて、男性には「家計を支える責任」があるというプレッシャー、期待があります。
そういう期待によって、「働きたい女性」の意味が二つ出来た、とも考えられます。男性も女性のように「自分が働かなくても家庭を支えられる方法」選択できる、
男性も女性も自由に働く・働かないを選ぶ時代になってほしい、と願います。