ブラッシュアップライフ

「語るベトナム」と「語らない日本」

ベトナム戦争終結から50年——ニュースを見て思い出した旅の記憶

ニュースで、ベトナム戦争終結から50周年という見出しを目にした。

英語ツアーに参加した、あの日

先日、ベトナムを旅した際、ベトナム戦争の跡地を巡る英語ツアーに参加した。
日本語対応ツアーはなく、参加者のほとんどは欧米の旅行者だった。日本人の参加者は自分ひとり。もしかすると、これには日本独特の「戦争との向き合い方」が関係しているのかもしれない?とふと思った。

日本では語られない記憶

日本では、第二次世界大戦や敗戦の話題はどこかタブー視されている。
なぜ日本が戦争に負けたのか、当時の政策や軍の判断など、冷静に議論した機会は無い。祖父母世代が戦争体験を語ることも少なく、「語られなかった記憶」が今なお家族や社会の中に横たわっているものの、このまま平和が続いて、議論が不要であればいいとも思う。

私の祖母は、生前こんなことを言っていた。

「辛い戦争の記憶は話したくない。記念碑にもならないくらい、誰にも知られず、悲惨に死んだ人たちがたくさんいるから。記念碑を作ることで、悲惨な戦争が美化されてほしくないとも思う」

当時、私も小学生で、私は祖母が言う意味がよくわからなかった。ただ、辛い出来事は語りたくないものだ、と思っていた。それが戦争に限らず、個人的なつらい経験でもオープンに語ることは少ない、と受け止めていた。

しかし、ベトナムでの経験を通じて、「語りたくないのは戦争に負けた国だからではないか?」という新たな気づきを得ることになった。

ベトナムのツアーガイドの明るさと誇り

一方、ベトナムのツアーでは、現地の若いツアーガイドが明るい調子で、当時の戦術を語ってくれた。
彼は流暢な英語で、いかにベトナム兵がジャングルに潜み、アメリカ軍を出し抜いたかを生き生きと説明してくれた。女性や子どもでもやっと入れるほどの小さな穴に身を隠し、機を伺っていた話には、思わず息をのんだ。

そして彼は、こう言った。

我々は、アメリカという超大国に陸上戦で戦った、数少ない国のひとつです

「語る文化」と「語らない文化」

彼の明るさは、誇りと悲しみが織り交ざった複雑な感情の上に成り立っているように見えた。
そこには「戦争に勝った国」と「負けた国」の違い以上に、語ることを選ぶ文化語らないことを選んだ文化の違いがあるように思えた。

「歴史は勝者の歴史」という言葉が腑に落ちた瞬間でもあった。勝者の側は、いかに勝ったかを語り、物語ることができる。しかし、負けた国は、勝者と違って「いかに負けたか」を語りたくないのが自然だと感じた。それは、戦争に負けた国としての誇りや、歴史に対する痛みが反映されているのだろう。

あの祖母の言葉が、ベトナムのジャングルの中で響いてきた。

どちらが正しいとか、間違っているとかではない。
ただ、それぞれの国が「戦争の記憶」とどう向き合うかには、深い文化の違い、勝った国か、負けた国か、の違い、があるのだと思う。

旅は「考える」ためにある

海外を旅すると、つい食べ物の美味しさや、景色の美しさに目を奪われる。
でも、そうした感動と同時に、ふと日本との違いに気づき、「どうして日本ではこうならなかったんだろう」と立ち止まって考える瞬間がある。


そして、その瞬間に気づくのは、私の当たり前が、世界では当たり前ではないということだ。自分が育った文化や価値観が、他の国々では異なる形で存在していることに気づく時、それが深い気づきとなり、私の世界は広がっていく。今回ベトナムのホーチミンに行ったことで、亡き祖母の言っていた言葉の意味に寄り添えた。

その国の歴史や社会のあり方に思いを巡らせ、自分が育った文化や価値観を、改めて見つめ直すことになる。
そして、そうして巡らせた思考や感情こそが、旅先で食べた料理の味や、写真に残した風景以上に、長く心に残ることがある。

海外へ行くこと。
それは、ただ観光するだけではなく、「考える旅、気づく旅」をすることでもあるのかもしれない。
そんな旅を、これからも続けていきたいと思う。

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