人生はすべて、選択の積み重ね。

「閉じる消費」と自己理解

お気に入りのカルティエの時計を、毎日身につけている。
もう何年も乗っているプリウス。
クローゼットには、気に入って何度も着ている洋服。

どれも「好きだから」「これで十分」と思って、大切に使っている。そんなふうに、ひとつのモノを長く愛用することには、心地よさがあるし、ムダな消費もしない。今の時代にぴったりの、丁寧でサステナブルな、ミニマムな暮らし方だとも思う。

こういった“消費を閉じる消費”は、ある意味では「究極の満足」、私の欲しいものは誰が何と言おうとこれだ!という「究極の自己理解」に近い。
もう探さなくていい、他と比べなくていい。
それは確かに、ひとつの完成形かもしれない。

でも、ふと立ち止まってみる。
それって、本当に「今の自分」に合っているんだろうか?

昔から使っているものや着ているものに安心感はあるけれど、気づかぬうちに、新しいチャレンジを忘れているのかもしれない。選び直すことも、試すこともせず、ただ惰性で続けているだけかもしれない。

5年前に似合っていた服が、今の髪型や体型、肌の質感に本当に合っているのだろうか?

変わっていくのは、時代だけじゃない。自分自身も、ゆっくりと、でも確実に変化している

その“変化に気づくこと”も、自己理解のひとつのかたちなのだと思う。

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