芥川賞を受賞した村田沙耶香さんの小説『コンビニ人間』。
一見風変わりなヒロインの物語ですが、読み終えたあとに残るのは、
「実は自分にも似た感覚があったかもしれない」という、静かな共感でした。
■ 規格内で生きるという「安心」
主人公・古倉恵子にとって、もっとも自然に振る舞える場所は、マニュアルで統一されたコンビニの中でした。
挨拶の仕方、商品の並べ方、声のトーンまで、すべてが決められている。
その“正解”に従っていれば、誰にも否定されないし、誰ともぶつからない。
つまり、自分という存在が「正常」でいられるのです。
恵子にとっての「本当の自分」とは、個性を発揮することでも、自由に生きることでもなく、
“規格内におさまること”。
一見、逆説的ですが、この感覚は私たちにもどこか思い当たるのではないでしょうか。
■ 「普通でありたい」という欲望
私たちは、こんな言葉を口にします。
- 「普通の人と結婚したい」
- 「普通に幸せになりたい」
- 「普通の生活がしたい」
ここで言う「普通」とは、世間が示す“正解のモデル”です。
それに沿っていれば、人生は安心で、安全で、間違いがない——。
そんな無意識の信念がそこには潜んでいます。
進学、就職、結婚といった「正解のルート」を歩くことに価値を置く社会のなかで、
私たちは知らず知らずのうちに、**「規格に収まることが大前提」**だと無意識に思い込んでいるフシもあるかもしれません。
■ 「普通」とは?
現代では「自分らしく生きよう」という言葉がよく聞かれます。
でも、そもそも“自分らしさ”ってなんでしょうか?
それが見つからないとき、人は不安になります。迷い、焦ります。
そんなときに、あらかじめ用意された「正解」や「規格」に自分をあてはめる方が、ずっと楽で安心できる——
これは恵子が感じていた「コンビニの安心感」と、まさに重なります。
『コンビニ人間』は、「普通」とは?自分らしくとは?の狭間で揺れる、
現代人すべてに向けられた問いかけの物語なのです。
物語のラスト
そして印象的なのは、物語のラストです。
恵子は社会的に“正しい”とされる道——結婚や正社員の道——を選びません。
むしろ堂々と、「コンビニで働く」という生き方を再び選ぶのです。
そこには、「どんな人生も正解」「普通なんて幻想」「オリジナル人生を作ろう」というような、
多様性を肯定する様なメッセージはありません。
ただ静かに、自分にとって心地よい空間と役割を、他人の評価を必要とせず選び直す姿があるだけ。
この終わり方こそが、『コンビニ人間』を、よくある自己実現の物語とは一線を画す、
鋭く静かな文学作品にしている最大の特徴ではないでしょうか。
恵子のように「規格内で生きること」に安心を覚える生き方も、
確かにひとつの「あり方」として、ここに存在している。
その静かな肯定が、「オリジナルな人生を生きよう!」と思う私に、じんわりと沁みてくるのです。