ブラッシュアップライフ

『大往生したけりゃ医療と関わるな──「自然死」のすすめ』(中村仁一 著)

大往生したけりゃ医療とかかわるな (幻冬舎新書)

死ぬのは「がん」に限る。ただし、治療はせずに。 3人に1人はがんで死ぬといわれているが、医者の手にかからずに死ねる人はごくわずか。 中でもがんは治療をしなければ痛まないのに医者や家族に治療を勧められ、 拷問のような苦しみを味わった挙句、やっと息を引きとれる人が大半だ。 現役医師である著者の持論は、「死ぬのはがんに限る」。 …

読んでまず感じたのは、「医療が進んだ今、自然に死ぬことすら難しい時代になった」ということ。
タイトルはショッキングだけれど、父の介護の様子を見て私が感じていた疑問を、医師の視点から言語化してくれており、とてもありがたく、参考になった。

死期が近づくと、自然と食欲は落ちる。
それでも、熱心な介護職員さんたちは、何とか食べさせようと努力してくれる(その熱心さに父も断れず、結果、口に押し込んでいるようにも見える)。
食べものが喉につまれば、吸引機で取り除く――その姿勢は善意に満ちているが、結果的に“死にゆく人を二重に苦しめている”のかもしれない、と思っていた。

点滴をして、食べたいものは食べられず、流動食を少しずつ(無理やり)口に入れ、それでも喉に詰まれば吸引される。
押し込んだのに吸引して、そうして命をつなぎとめても、寝たきりの状態は変わらない。
それを本当に「生きる」と呼べるのだろうか??と思っていた。

大切なのは、「穏やかな死」「自然死」の仕組みを知ることだと著者は説く。
自然死とは、実は餓死や脱水の状態のこと。


「飢餓」「脱水」と聞くと悲惨な印象を受けるが、死の間際に起こるそれは違う。
人間は生命力が衰えると、そもそも食べたいとも、飲みたいとも思わなくなる。
空腹も喉の渇きも感じないのだという。

また、死に近づくと呼吸も浅くなり、酸素が足りない「酸欠状態」になる。
けれどそのとき、体内ではモルヒネ様の物質が分泌され、苦痛をやわらげてくれる。
つまり、死とは本来、自然で穏やかなプロセスなのだ。
それを過酷にしてしまうのは、医療の“あらがい”であると著者は言う。

死は、不安や恐怖の中で訪れるものではなく、
まどろみの中で静かに、あの世へと移行していく。

点滴を外し、無理やり食べさせず、「飢餓」状態にしていくことが、
穏やかな死につながる――。


「何とかして1日でも長く呼吸をしててもらいたい」そんな気持ちも、もちろんある。

けれども、本当にしんどいけれども、「自然死」を家族が受け入れることが必要なのだと、深く考えさせられた。

父の介護を見届けながら、この「自然死」という考え方に、どこか救われる思いがした。

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