父を見て考えた
ここ1年くらいで、父が少しずつ衰えてきました。
ついこの前まで自分のことは自分でしていたのに、今は母や看護師さん、デイサービスの支えがなければ生活が成り立たなくなっています。
巷でよく耳にする、「寝たきりにはならずに死にたい、ピンピンころりで死にたい」という言葉が頭に浮かびました。元気なうちは多くの人がそう願います。でも現実には、なぜ多くの高齢者が寝たきりになってしまうのでしょうか。父の姿や、家族の過去の経験を通して、いくつかの理由を考えました。
知らないから怖い
私自身もそうですが、身近に祖父母の介護や看取りを経験していないと、「人がどう老いて、どう最期を迎えるのか」ということをほとんど知りません。
だからこそ、老いはただ漠然と「怖いもの」になってしまいます。父の変化を見ながら、私も「こんなに急激に弱っていくのか」と驚きました。
医療がすぐそこにあるから
父も、ちょっと調子が悪いと病院に行き、薬で対処してきました。保険診療で数百円で受けられるのだから、抵抗もなく「治療」を選んでしまいます。
もちろん、それで助かる場面も多いのですが、「老い」そのものまで治そうとするように延命につながってしまうこともあります。
ここで、私たち家族の過去の体験が大きく影響しました。
祖母は胃ろうで延命され、何年も意識のないまま、ただ心臓が動いている状態で病院で過ごしました。最期まで「生きている」と言えるのかどうか、人間として尊厳ある状態なのか、私たちは悩みながら見守るしかありませんでした。
その経験から、心のどこかで「自分たちは胃ろうで延命はしたくない」と心の中で思っていたのですが、同時に強い葛藤もありました。
「祖母の選択を否定してしまうようで言えない」
「祖母のあの時間は、無意味だったと言ってしまうことになるのではないか」
そんな思いが、家族の中で長く言葉にできないまま残っていました。
しかし、父の衰えが目の前に迫ったとき、私たちはようやく腹をくくる必要に迫られました。
「父を祖母と同じようにしたくない」
その思いから、胃ろうについて本を読んだり調べたりしながら、家族で時間をかけて話し合いました。
そしてついに「父には胃ろうをしない」、という決断に至りました。
老いは急にやってくる
何よりも驚いたのは、父の衰えのスピードです。
少し前まで歩いていたのに、ある日を境に急に食べられなくなったり、呼吸が苦しくなったりして、そうなると、医師からはすぐに「点滴を」「酸素を」という話が出てきます。
ただ、ここでも私たちは葛藤しました。
人間は、自分で息ができず、食べものが食べられなくなった時点で、それはもう“死期”なのではないか。
けれども、目の前で、
呼吸が苦しそうなのに酸素吸入を与えない、食事が喉を通らず痩せ細っていくのに点滴をしない――その決断は、どうしてもできませんでした。
点滴や酸素吸入器で最期の時を引き延ばすことは、一種の「無理な延命」なのではないか…。そう思える瞬間もありますし、実際に点滴を断る方もいらっしゃるそうです。
「老いる」具体的な知識が無い(体感として少ない)ことから、十分な備えが出来ず、どこからが「無理な延命」なのか線引きが判断できず、
そうした葛藤の中で「良かれと思ってのひとつひとつの判断や行動」が、結果的には、「寝たきり」を引き起こしているのではないか――父を見ながら、そんなことを感じるようになりました。
気づいたこと
父や祖母の姿を通じて、「寝たきりになるのは、体の衰えだけが理由ではない」と強く感じました。
老いに関する具体的な知識の不足、手厚すぎる医療制度、そして家族の葛藤や準備不足…。そうしたあらゆる要素が積み重なって、ピンピンコロリを妨げ、気づけば寝たきり、なのだと気づきました。
けれども、私たちには祖母の体験があったからこそ、父に対して「どう最期を迎えたいのか」を、お医者様任せにせず、真剣に話し合うことができました。悲壮感だけではなく、自分たちで考えて決断した、という自走感も感じています。
「生きる」ことと「生かされる」ことの境界を考えながら、葛藤を越えて選んだ決断に、今は後悔はありません。
どう老いて、どう最期を迎えたいのか?
それは結局、「今をどう生きたいか?」を自分に問いかけることなのだと思います。
そしてその問いを、祖母や父が背中で示してくれた――そう感じています。