人間関係のリセット
一番大きかったのは、人間関係のリセットでした。
約20年、長く勤めた分、それなりに築いてきた関係はありました。
先輩や後輩、部下でもあり上司でもある立場。
数は少ないけれど、本音を話せる同僚もいました。
そうした関係性の中で得たものも、確かにあり、本音を話せる同僚・仲間のおかげで、長く続ける事ができたと思います。
本音でつながれる人はごくわずか
けれど、結局のところ――
正社員で働き、人生の大部分の時間・エネルギーを注いだとしても、
残るのはごくわずかな「本音でつながれた誰か」だけ。
それ以外は、会社というヒエラルキーの中での「役割としての自分」だったのだと思います。
演じていた「役割」と社会構成主義
辞めてみて気づきました。
あの人間関係の大半は、組織という社会的枠組みの中で演じていた「役割」だったのだと。
社会構成主義の視点から見れば、それは自分自身が信じ込み、
他者とのやり取りの中で形作られたフィクション。
そこでは「上司」や「部下」という役割が、私と相手の関係性を定義し、制約していたのです。
フラットでリセットされた関係
だからこそ、そこから解放された今――
新しく出会う人たちは、私がどんな仕事をしてきたかも、何歳なのかも知らない。
すべてがフラット。すべてがリスタートできる。
それがとても心地よかったのです。
新しい物語の始まり
組織のヒエラルキーは、自分が信じ込んでいただけの物語。
ならばその古い物語にしがみつかず、自分自身で新しい物語を始めればいい。
心からそう思えたのです。
「自分とか、ないから」という本が、とても腑に落ち、心に刺さって涙が出ました。
終わりの開放感とこれから
お金の心配も、もちろんありました。
それでも、ひとつの物語が終わったことの解放感が、自分の想像以上に心地良く、
また新しい物語を始めればいい、健康な心と体があれば何でもできる、
と心底思え、そのお金の心配を上回ったのです。