実家の片づけを進める中で、長年飾ってきた雛人形と五月人形をお寺に持って行きました。いわゆる「お人形供養」です。本来は、子どもが成人したタイミングなどで行うのが一般的のようですが、わが家では何十年も経ってからの手放しとなりました。
捨てられなかったのは「想い」があるから
お人形たちはとても丁寧に作られていて、見れば見るほど、祖父母や両親の思いが込められていたことを感じます。私は特別、信心深い方ではありません。でも、これだけ手間ひまをかけて作られ、大切に飾られてきたものを、ただの「燃えるゴミ」として処分するのはどうしてもためらわれました。
だからこそ、お焚き上げというかたちで見送ることで、「ここまで無事に育ちました、ありがとうございました」と、兄弟姉妹で手を合わせることができたのは、自分自身にとっても大切な節目になりました。
自分の手で感謝と共に片付けるということ
もしこのタイミングを逃していたら、親が亡くなったあと、業者さんによって機械的に処理されていたかもしれません。そう考えると、今回、自分の手で、時間をかけて気持ちを込めながら片づけができたのは、本当に良かったと思います。
「モノに心が宿る」という感覚
かつてのお人形は、職人さんがひとつひとつ手作業で作っていた時代のものです。量産される以前は、モノにも「命」や「心」が宿るという感覚が、ごく自然に人々の中にあったのでしょう。
「もったいない」という言葉には、ただ物理的に「まだ使えるから捨てない」という意味だけでなく、「作ってくれた人の気持ちに対する敬意」が含まれていたのだと、あらためて気づかされました。
今は、ほとんどのモノが機械で大量に生産され、どこで誰が作ったのかもわからないまま、気軽に買って、気軽に手放す時代です。まだ使えるモノでも、使わなくなったら「不要品」、あるいは「ゴミ」になる。
そんな現代だからこそ、今回のように、モノと丁寧に向き合う時間は、どこか忘れていた感覚を思い出させてくれました。
「坊主丸儲け?」でも、誰かの悩みを救う仕組み
ちなみに、お焚き上げをお願いしたお寺では、毎週1回、定期的にお人形の供養を行っているそうです。有料とはいえ、観音堂にはその週に集まったと思われるお人形がびっしりと並んでいて、「これが週一回分!?」と驚きました。
「仕入れゼロで利益になるビジネスか……坊主丸儲けだな」と、ふと頭をよぎりましたが、同時に、こうして「捨てるに捨てられないもの」に困っている人の気持ちを、しっかり受け止めてくれる場所があるというのは、ありがたいことでもあります。
ビジネスとは、誰かの困りごとを解決すること
改めて思ったのは、ビジネスとは「誰かの困りごとを解決すること」なんだということ。今回のお焚き上げも、「心苦しいけど捨てられない」という感情に応えてくれる、立派な役割を果たしていました。
自分ではどうにもできないもの、でも放っておくわけにもいかないもの――そんな「間」にある気持ちを、そっと受け止めてくれる場所や仕組みは、これからの時代、ますます大切になるのかもしれません。