山上被告の母親が「当時住んでた自宅を売却し、4,000万円を献金した」と証言したという報道を聞き、
なぜそこまで追い詰められてしまったのか
その背景が気になり、改めて調べてみました。
当時、父親の自殺、長男(山上被告の兄)が病気で失明するという深刻な出来事があり、
母親は「どうにか助けたい」という必死の思いから、統一教会への献金を続けていったとも報じられています。
統一教会の教義には、
- 人間は“罪”を持って生まれてくる
- 先祖や自身の罪を“献金”などで償うことで救われる
という考え方があります。
山上家は経済的にも精神的にも追い詰められ、家庭崩壊へとつながっていきました。
■ 山上被告は“元凶”が何なのか、長期間調べていた
山上被告は、「怒りや悲しみ」を、誰かに無差別に向けたわけではなく、長期にわたり
- 統一教会の歴史
- 文鮮明氏と日本政治の関係
- 岸信介氏との協力関係(1960年代〜)
- 自民党の一部政治家との選挙支援・会合参加・祝電
- 特に清和会との結びつき
といった“宗教と政治の構造”を調べていたと供述で述べています。
公判でも、
「統一教会に最も近い政治家の流れが清和会」
「その流れを継ぐ象徴的な人物が安倍元首相」
という認識を持っていたことが示されました。
これは、衝動的行動ではなく、
自身の家庭を壊した構造の“中心”を、冷静に探し続けた分析プロセスがあったことを示しています。
もちろん、その結論が正しかったわけではありませんし、
暴力による殺人は決して許されることではありません。
しかし、
「なぜ彼はあの一点に行き着いたのか」
という問いには、こうした構造的背景があります。
■ もしこの“分析力”が別の方向に向いていたら
山上被告が示した、
- 構造を調べる粘り強さ
- 因果関係を追う分析力
- 行動へ移す実行力
これらは、本来であれば、
- ルポライター
- 宗教二世問題の告発
- 政治と宗教の癒着構造の分析
- 制度改善の提言
など、社会に役立つ、あらゆる方向に向けられる可能性のある能力でした。
しかし彼は、その力を「破壊」に使ってしまった。
ここに、この事件の最大の悲劇があります。
■ 事件後の“構造的問題”は終わっていない
事件後、
- 安倍元首相の死
- 清和会(安倍派)の実質的解散
という象徴的な変化はありました。
しかし、
- 自民党と統一教会の長年の接点
- 過去の関係の検証
- 宗教と政治の距離の再設計
といった“構造的問題”は、いまも完全には解決されていません。
山上被告が「元凶」と見つめた構造は、
形を変えつつも、まだ日本社会の課題として残っています。
■ この事件が深く、悲劇的である理由
山上被告は“宗教二世被害者”として家庭崩壊の渦に巻き込まれ、
怒りの対象を、衝動的に、無差別的にではなく、粘り強く長期に渡り分析して、宗教と政治の構造へ向けました。
しかし、その分析の先に選んだのは、
取り返しのつかない暴力という行為でした。
もし彼に、この長い調査分析の段階で、
別の世界、別のロールモデル、別の支援があったなら――
その能力は、社会を救う方向に向かっていたかもしれない。
その「もし」を考えずにはいられない。
そこに、この事件の深い悲劇性があります。