ブラッシュアップライフ

都営バスに乗って気づいた、東京の“豊かさ”

先日、都内で都営バスに乗っていたときのこと。
バス停で、車いすに乗った方が乗車される場面に出くわしました。

運転手さんが運転席から一度降りて、スロープを出し、丁寧に車いすを押してサポート。
乗客の皆さんも、急げってせかすわけでもなく、その光景を自然に受け止めて、なんだか心がじんわりとあたたかくなりました。

バスが車いす対応であること、バス停までの歩道がバリアフリーであること。
それに、都内すべてのバスにこうした設備を導入するに十分な予算があるということ――。
これって当たり前に受け止めてるけど、経済的にも精神的にもすごく“豊か”なことなんだなと、ふと思ったんです。

捻挫したまま行ったベトナムで感じた「淘汰される側」

そう思ったとき、以前ベトナムに旅行したときの出来事を思い出しました。
出発の数日前にまさかの捻挫。キャンセル料は100%の時期だったので、思い切って足を引きずりながらベトナムへ(笑)。

空港やホテルはバリアフリーで問題なかったんですが、街中に出ると話は別。
歩道はガタガタ、段差だらけ、人々もバイクも信号もおかまいなしのカオスな混雑。
バイクの合間を人が命がけで歩いていくような感じで、「あ、これ足引きずってたらマジで淘汰される…(笑)」と心の中でつぶやきました。

結局、滞在中はホテルでほとんどを過ごすことに。
動けないと、本当に“居場所”がない街だなと感じたのを覚えています。(発展著しい国ですので、今は状況は違うかもしれません)

豊かさって、「誰かが少し弱くなったとき」の話かもしれない

東京でも、もちろん完璧とは言えませんが、
ちょっと調子が悪いとき、少し動きが鈍いときでも、淘汰されずに過ごせる環境があるというのは、ほんとうにありがたいことなんだと実感しました。

それは、技術やインフラの整備も、もちろんですが、
「少し立ち止まって、助ける」「無理に急がせない」といった、人の気持ちや社会の秩序にも支えられていると思います。

元気なときには気づかないけど、ちょっと弱っているときにこそ見えてくる豊かさ。
“豊かさ”って、誰かが少し弱くなったときにも、ちゃんとその人の居場所があることなのかもしれません。

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