「金の切れ目が縁の切れ目」って、
お金が尽きたら人間関係も終わる…
そんな冷たい言い回しのように聞こえていました。
でも見方を変えれば、
お金でつながっている関係は、
お金が切れたら自然に終わらせられる――
ある意味で、健全な境界線を持った関係とも言えるんだな、と思います。
逆に、お金だけでは縁が切れない関係もあります。
たとえば、夫婦や恋人、親戚やご近所づきあい、兄弟姉妹。
こうしたつながりは、情や立場、歴史が深い分、
もしどちらかが距離を置きたくなっても、
すぐに切ることは難しいですよね。
私も以前、楽しいと思ってイベントの企画から運営まで、
ボランティアで手伝っていたことがあります。
最初はイベントが楽しいのでワクワクしていたのですが、
企画となると打ち合わせを、仕事後に何度も重ねる必要があり、
途中からだんだん気持ちが落ちてきてしまいました。
それでも「始めたからどうにも言い出せない」という気持ちがあって、
やめることもできずにズルズル…。
もしこれが、いくばくかでもお金になるなら、
「時間を使う理由」になっていたかもしれません。
でも善意だけで続けるのは、正直、私は長くは持たなかったです。
そして、お金が絡まないからこそ、「我々はお金以上の仲間だ」という思い込みに繋がり、
「やめたい」とは言い出しにくいんだな、と実感しました。
お金を介さない関係――
たとえばボランティアや趣味の仲間――は、
お給料みたいに「この仕事がいくら」という分かりやすい基準がありません。
だから「どれだけ関わるか」「どのくらいの熱量でやるか」は、
人それぞれの感覚に任されます。
始めた時は「楽しくできる範囲で」って思っていても、
気づけば「私、こんなにやってるのに!」って不満が出てきたり、
逆に「そこまで求められても困る…」と感じることも。
環境や価値観が変わって、ふと気持ちが離れることもあるし、
無償で続けてきた活動が、いつの間にかしんどくなることもあります。
だからこそ、お金という目に見える形で役割をはっきりさせておく方が、
少なくともその分は責任を果たすし、
相手に期待しすぎず、自分も背負いすぎずにいられるし、
お金を理由に、離れることも出来ます。
もちろん、そのお給料以上に働かされるのは、
いわゆる「ブラック」ですけどね。
そして、どんなに深い情や愛情でも、
ずっと同じ形で続くとは限りません。
だったら「長く続ける」ことを前提にするより、
その時その時の気持ちに沿って、
一期一会の精神でやりたいことをやるほうがいい。
その結果、長く続いたら…それはすごく幸せなことです。
お金でも情でも、
切れる時は自然に受け入れられる関係。
そんな距離感を持てたら、
「金の切れ目が縁の切れ目」も、
ちょっと違って聞こえてくるかもしれません。