Magic Tree House シリーズは、英語圏の児童向けの優しい英語でストーリーが進みつつ、大人も考えさせられる哲学的な示唆に富み、約50冊あるので、英語多読におススメです。
第6巻では、南アメリカのアマゾン熱帯雨林が舞台となります。
子どもの冒険物語とは思えないほど、深い問いを投げかけてくれるエピソードでした。特に心に残ったのは「名前」と「存在」にまつわる気づきです。
「名前をつけたい」
ジャックは物語の冒頭でこう言います。
"I learned the rain forest in school. Half of them have never even been named. So, he could even name some unknown bugs."
学校で熱帯雨林のことを学んだ。そこにいる生き物の半分には、まだ名前さえついていない。だから未知の虫に名前をつけることができるかもしれないんだ。
学校で習った知識を頼りに、「名前をつける=知ること、理解すること」と考えるのは、人間らしい行動です。
しかしながら、アマゾンでの冒険を通して、
"Just leave them alone. They won’t bother you. Who cares if the bugs don't have names? They know who they are."
そっとしておけばいい。虫たちはちょっかいを出したりしない。名前がついてないって、そんなの関係ないでしょ?虫たちは、自分が何者かをちゃんと知ってるんだから。
名前がなくても、生きている
この言葉にハッとしました。
私たちは、「名前がある=存在している」と無意識に思っていることが多いのではないでしょうか。
でも、虫も動物も植物も、たとえ人間が名前をつけていなくても、ちゃんと生きている。
自分が何者かを知り、ただそこに在る。
「名前をつけることに意味はあるけれど、名前がないことにも意味はある」と。
これは、自然との向き合い方だけでなく、人との関係や自分自身のあり方にも通じる学びだと思いました。
「肩書き」「職業」「ラベル」にとらわれすぎずに、「肩書がなくても、私は私」=何者でなくてもよい、何かを成し遂げるために生きている訳ではない、という在り方を大切にしたい。
あなたは、名前や肩書きがないと不安になりますか?
それとも、ただ"自分"として、そこに在ることができますか?
英語圏の子供向けに優しい英語で書かれていますが、ふと立ち止まって考えさせられる本でした。