ブラッシュアップライフ

街は意志の産物だった 〜40代になってようやく腑に落ちた〜

ここ1年ほどの間、仕事で全国のいろいろな街を訪れる機会が続きました。
銀座、浅草、横浜、函館、福岡、神戸、名古屋……。

こうして複数の都市を短期間に巡ることで、それぞれの街に共通するもの、あるいは違いが、自然と目に入ってきました。


一つひとつの街を単体で訪れるのとは違って、「函館と横浜には同じような赤レンガ倉庫があるのね」「ここは城下町の名残が強いな」といった特徴が比較の中で際立ち、浮かび上がってきました。

そしてそのとき、ふと気づいたのです。
「街って、なんとなく人が集まって、自然に発展してきたものだと思っていたけれど、実はそうじゃないんだな」と。

それぞれの街には、誰かの強い意志があったことを感じました。

リーダーの決断が都市を生んだ

江戸なら徳川家康。
名古屋なら尾張徳川家が“清洲越し”を断行して、まるごと町を移して城下町を築いた。
福岡は、黒田長政が那珂川を挟んで武士の町と商人の町を分け、整然と設計していた。


横浜や神戸、函館も、明治政府が「開国」「貿易」「富国強兵」という国家方針を掲げ、国際都市として急ピッチで整備していった。
つまりどの街にも、それぞれの“つくる理由”=大義名分がありました。

    • 江戸時代に発展した都市 (東京、名古屋、福岡など)→ 国内政治と封建支配の中核
    • 明治時代に発展した都市 (横浜、函館、神戸)→ 国際貿易と近代化のフロントライン

    学んでいたはずのことが、やっと腑に落ちた

    文字にするととっても当たり前な、こういうことは、たぶん学校の歴史や社会の授業でちゃんと教わっていたんだと思います。
    でも当時は、ただただ、年号や人名を暗記していただけでした。

    実際に自分の足で街を歩き、いろんな時代の空気を肌で感じるようになって、ようやく腑に落ちました。

    ただ人が集まってできたわけじゃない。
    「つくろうぜ!」と引っ張る誰かがいて、時代の要請があって、人もモノも制度もそこに集められてきた。

    「都市は意志の産物である」――
    かしこい子たちはとっくに分かっていたかもしれないけれど、私は今ようやく、それを実感しています。

    そして、これかららも国内外に色々出かけて行って、「教科書に載ってたアレ、ようやく腑に落ちた!」、あるいは、

    「学校で習ってなかったけど、これ教えてほしかったなー」など、増やして生きたいと思います。

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