◆ 一番印象に残ったのは「孤独」の再定義
『スマホ時代の哲学』を読んで、一番印象に残ったのは、
「孤独」「孤立」「寂しさ」という言葉の再定義と、
「孤独を取り戻すべきだ」という主張でした。
これまで私は、これらの言葉をどこか似たものとして捉えていました。
でも、この本ではそれぞれの言葉が明確に分けて語られていて、
その視点がとても新鮮で、深く腑に落ちました。
◆ 孤独と寂しさは、まったく別のもの
たとえば、
孤立とは、何かに集中するために必要な物理的な遮断状態。
孤独とは、自分の内面と向き合い、思考を深めるための静かな時間。
どちらもネガティブなものではなく、むしろ“自分を取り戻すための状態”だと定義されていました。
一方で、寂しさは異なります。
寂しさとは、人に囲まれているのに分かり合えていないと感じるとき、
「自分だけが孤立している」と思ってしまう心の状態。
どうにも不安で、誰にも理解されていないように感じ、
その不安を埋めるために、他者や刺激を無意識に求めてしまう——それが「寂しさ」なのです。
◆ 「孤独」を確保することが難しくなった理由
私たちの生活は、テクノロジーの進化よって徹底的に「効率化」されています。
- テーマパークのファストパス
- ECサイトの即日発送
- Netflixの倍速視聴
- レコメンド機能で“迷う”時間を短縮
- ICカードやスマホでのキャッシュレス決済
- YouTubeでの本の要約解説動画
こうした便利な仕組みにより、
かつて必要だった待ち時間や思案の時間はごっそり削られ、
「空いた時間」はまた別のタスクやコンテンツで埋め尽くされていきます。
そして今、社会全体が
インスタントで刺激的で、悩まずにすぐに答えが出るものを好む傾向にあります。
注意深く観察したり、探索的に味わったりするような食事や娯楽ではなく、
ハンバーガーを注文して数分で流し込むように、
物語も、学問も、人間関係も、明快で、短時間で“消費”できる形であることが、
当たり前のように求められています。
迷うことや考え込むことはではなく、
すぐに正解にたどりつけるものが“良いもの”とされる——
そんな空気のなかで、「即レスせずに、孤独に身を置き、考える」という行為自体が、
不自然に思えてしまうのかもしれません。
◆ スマホによって「即レス」前提の社会に
さらに、スマホの普及によって私たちは24時間いつでも「誰かとつながる」ことが可能になりました。
昔なら一晩おいて返しても問題なかったメッセージも、
今では「すぐに返信しないと失礼」「即対応が当然」といった空気があり、
反応の速さが“誠意”や“能力”と見なされてしまう。
こうして、常に反応を求められる“即レス社会”のなかで、
立ち止まって考える時間や、感情の余白がどんどん削られていると感じます。
◆ 組織との「24時間常時接続」から解き放たれた10ヶ月
思い返せば、私は昨年、20年以上勤めた会社を辞め、約10ヶ月間、無職の時間を過ごしました。
辞める前は、「組織に属さない不安」に少しおびえていましたが、
実際はまったく逆でした。
むしろ、予定のない日々に、心から解放された気がしたのです。
というのも、私がいたのは商社という業界。
北米・日本・欧州と時差をまたぎながら、早朝から深夜まで世界と「常時接続」し続ける毎日。
メールや電話やオンライン会議が絶えず、常に何かに追われ、誰かに応え続けていました。
たしかに多くの人と「つながって」はいたけれど、
それは本当の意味での“分かり合えている”とは違っていました。
むしろ、「こんなに常時接続なのに、誰にも理解されていないのでは?」
寂しさや焦燥感が募るばかりでした。
◆ 孤独こそ、自分を取り戻すための時間だった
会社を辞めて、組織との「常時接続状態」から切り離された私は、
確かに“孤立”し、“孤独”になりました。
でもそこには、不思議なほどの安心感と開放感がありました。
予定のない朝、誰にも急かされない昼下がり。
旅に出たり、本を読んだり、英語を学んだり。
静かに自分と向き合う時間は、
とても豊かで、満ち足りたものでした。
「何のために、あれほど必死に働いてきたのか?」
「私には何の価値があるのか?」
「これから、何をして生きていこうか?」
これらに唯一の正解はありません。
誰かが教えてくれるわけでもありません。考えなくても生きてはいけます。
でも、自分がどうしたいかを、即レスではなく時間をかけて掘り下げて考えたかった。
そのための時間として、「孤独」はとても大切なものだと感じました。
◆ 「孤独」は怖れるものではなく、戻るべき場所
「孤独=寂しい」と思いがちですが、そうとは限りません。
むしろ、自分の思考や感情を取り戻すために、意図的な「孤独の時間」が必要なのだと、
この本を通して、そして自分自身の経験を通して、強く実感しました。
孤独とは、戻るべき“自分の原点”なのかもしれません。