実家で見つけた保険証券
先日、実家で父の書類を生前整理していたときのことです。
古びた書類の山の中から、思いがけずいくつもの保険証券が出てきました。
死亡保険、傷害保険、そして年金保険――一括で預け、隔月で年金のように振り込まれ、もし父が早く亡くなった場合には残金が遺族に渡るという仕組みです。
NISAなど、保険以外の選択肢も沢山あるのに、保険ばかり……営業マンに言われるままに入ったのでは――と思いました。
営業マン任せではなかった父の慎重さ
でも、父なりに考え、慎重に選んだ結果なのだと考えを改めました。
死亡保険、傷害保険、そして年金保険に、まんべんなく入っていて、ダブって入っている訳でもなく、営業マンに言われるまま、という訳でもない気がしてきたのです。
時代の流れや制度を考えると、もっと効率的に資産を残せたかもしれませんし、PC操作やインターネット検索だったり調べたりするのが苦手な父は、ある意味「情弱」とも思えます。
けれども、ネット証券で株を買うとかNISAで運用するとか、もともと慎重派の父には冒険すぎたのでしょう。
祖父母の葬儀での経験が選択に影響
整理を進めるうちに、父の考えがさらに見えてきました。
古い手紙や集計表の中に、祖父母の葬儀で兄妹三人が費用をどう分担するか揉めた記録が残っていたのです。赤字が出て、誰が払うかで悩み、手紙をやり取りしていた痕跡がひっそりと。
父はその経験を覚えていたのでしょう。
「子どもたちがお金で揉めるのは絶対に避けたい」
だから、自分が亡くなったあとも揉めずに済むよう、保険という形で資金を残していたのだと気づきました。
物欲を避ける父の価値観
そして考えたのです。
高いワインやウイスキーを飲むことも、高級車や高級時計を買うことも、オシャレな洋服で飾ることも、国内外の旅行に行くこともなく、安いお酒でベロベロになるのがとても楽しそうでした。
そんなに裕福ではない子ども時代を過ごし、高卒で東北地方を出てきた背景が影響しているのか、
お金を使って楽しむこと=悪、物欲=悪、そんな価値観が根底にあったのかもしれません。
だからこそ「大きく稼ぎたい」という欲も持たなかったのでしょう。
その延長線上にあったのが、父の保険の選びでした。
株式投資や不動産投資で大きく儲ける(リスクも伴います)ような派手さはなくても、家族に迷惑をかけないように――そんな価値観が、そのまま保障の形になっていたのです。
保険はライフスタイルと価値観の映し鏡
そして私は気がつきました。
保険とは、自分のライフスタイルや価値観をそのまま映し出すものなのだ、と。
私は子どももいませんし、自分が死んでも経済的に困る相手は誰もいません。死亡保険には何も入っていませんし、がん保険も入っていません。
高額医療費制度もあるので、公的制度だけで十分だと考えています。
保険に入ると、どうしても必要以上に未来を心配してしまいそうです、だからこそ、たとえ特別な病気にかかり余命がわずかになったとしても、後悔が少ないくらいに、日々を充実させて生きたいと思います。