読んでまず感じたのは、「医療が進んだ今、自然に死ぬことすら難しい時代になった」ということ。
タイトルはショッキングだけれど、父の介護の様子を見て私が感じていた疑問を、医師の視点から言語化してくれており、とてもありがたく、参考になった。
死期が近づくと、自然と食欲は落ちる。
それでも、熱心な介護職員さんたちは、何とか食べさせようと努力してくれる(その熱心さに父も断れず、結果、口に押し込んでいるようにも見える)。
食べものが喉につまれば、吸引機で取り除く――その姿勢は善意に満ちているが、結果的に“死にゆく人を二重に苦しめている”のかもしれない、と思っていた。
点滴をして、食べたいものは食べられず、流動食を少しずつ(無理やり)口に入れ、それでも喉に詰まれば吸引される。
押し込んだのに吸引して、そうして命をつなぎとめても、寝たきりの状態は変わらない。
それを本当に「生きる」と呼べるのだろうか??と思っていた。
大切なのは、「穏やかな死」「自然死」の仕組みを知ることだと著者は説く。
自然死とは、実は餓死や脱水の状態のこと。
「飢餓」「脱水」と聞くと悲惨な印象を受けるが、死の間際に起こるそれは違う。
人間は生命力が衰えると、そもそも食べたいとも、飲みたいとも思わなくなる。
空腹も喉の渇きも感じないのだという。
また、死に近づくと呼吸も浅くなり、酸素が足りない「酸欠状態」になる。
けれどそのとき、体内ではモルヒネ様の物質が分泌され、苦痛をやわらげてくれる。
つまり、死とは本来、自然で穏やかなプロセスなのだ。
それを過酷にしてしまうのは、医療の“あらがい”であると著者は言う。
死は、不安や恐怖の中で訪れるものではなく、
まどろみの中で静かに、あの世へと移行していく。
点滴を外し、無理やり食べさせず、「飢餓」状態にしていくことが、
穏やかな死につながる――。
「何とかして1日でも長く呼吸をしててもらいたい」そんな気持ちも、もちろんある。
けれども、本当にしんどいけれども、「自然死」を家族が受け入れることが必要なのだと、深く考えさせられた。
父の介護を見届けながら、この「自然死」という考え方に、どこか救われる思いがした。