“The unspoken words are as meaningful as the spoken.
Layer upon layer, like the steel in samurai swords.”
→ 「語られない言葉にも、語られた言葉と同じほどの意味がある。
折り重なる層は、まるで刀の鋼のよう。」
“Nothing in the cicada’s song tells us they are about to die.”
→ 「セミの鳴き声のどこにも、彼らがまもなく死ぬことを示すものはない。」
“Mono no aware is an empathy with the universe.”
→ 「物の哀れとは、世界(他者)そのものへの共感である。」
著者のKen Liu は中国系アメリカ人なのですが、まるで幼少期を日本で過ごしたのでは?と思うほど、日本語や日本文化の根にある感覚を正確に捉えています。
日本人にとって「言葉の余白」、「ものの哀れや、死の近さが生む美意識」は、とても自然に、わざわざ説明しないほど日常の中に溶け込んでいます。
しかし、Ken Liu はその“無意識の美意識”を、英語で丁寧に言語化してくれる。
そのため、読んでいてハッとさせられます。
英語という異なる言語を通すことで、逆に
「自分が当たり前、と思って言語化するまでもないような感覚」
「ものの哀れ、って日本人なら共感できる感覚、英語でどう表現できるのか?」
が、くっきりと輪郭を持って浮かび上がってくる。
それはやはり、アメリカという地理的にアジアからは離れた場所で成長したアジア系アメリカ人(自分の両親や祖父母がアメリカへ移民してきた)たち、から見たら、
中国や日本がそれぞれ別の国であるという理解と同時に、
中国と日本は、漢字・詩・思想・死生観の文化的レイヤー を何千年も前から共有している、という視点が持ちやすいかもしれない、と想像しました。
こちらの本は、16個の短編(各20~50ページ程度)が本になった短編集です。ひとつひとつの物語が完結するので、英語の多読としても読みやすいのですが、
最後の章については、第二次世界大戦中に日本軍が秘密裏に運営した(と言われている)、生物・化学兵器の研究開発を行った部隊の、極めて残虐な人体実験を実施、多くの捕虜が犠牲になった件についての詳細な記述があり、かなり胸が痛み、読みやすいとは言い難い章です。
日本の学校で歴史授業の中では習ってこない部分であり、中国の歴史授業でこの部分を勉強するのであれば、中国と日本での歴史認識は異なるはずだ、と改めて感じました。
歴史は誰からの視点なのか、で変わるもの、と、気づかせてくれる、英語多読の醍醐味を感じられる1冊です。