親からの自立
1990年代後半、インターネットやEメールがようやく一般に広まり始めた頃。
私は半年間、アメリカに語学留学をしました。
今では信じられないかもしれませんが、当時は YouTubeもNetflixもPodcastもSNSもない時代。
英語を学ぶ手段は限られていて、NHKのラジオ英会話講座のテキストを買って聞いたり、洋楽のCDを繰り返し聴いたりするのが主流でした。
海外にいても日本語の情報は手に入りにくく、今のようにwifiやLine通話できる訳でもありません。家族や友人と連絡を取る手段は(高額の)国際電話しかありません。
だからこそ、困ったときは自分で対応し、身振り手振りでも現地の人とコミュニケーションを取って解決するしかありませんでした。
そんな環境で、**一番大きな収穫は「精神的な自立」**でした。
「黙っていること」はリスペクトじゃない文化に衝撃
留学中に特に強く感じたのが、コミュニケーションに対する文化の違いです。
日本では、「先生の話を静かに聞く」ことがリスペクトの表れであり、発言するには「空気を読む」「場をわきまえる」といった姿勢も求められます。
一方アメリカではその逆。
間違っていてもいいから、自分の意見を言うこと、質問することが大切だとされていて、発言しない=そこに存在していない、と思われても仕方がないという雰囲気すらあります。
もちろん、その価値観は留学前から「知っては」いました。
英語の授業や書籍、映画などで、「アメリカは意見をはっきり言う文化」だと教わっていたからです。
でも、実際に現地で、沈黙していたら誰にも気に留められない状況を“体感”したことは、ただ知っていたこととは全く違うインパクトがありました。
このとき初めて、「知識」と「経験」の間には、決定的な差があると痛感しました。
だから私は、文法や発音の正しさを一旦横に置いて、
とにかく何かを発すること、間違えても発信する、コミュニケーションを取ろうとする姿勢を優先するようになりました。
この経験は、のちに社会に出てからの会議などでも、とても役立つスキルとなりました。
🌍 日本を「外から見る目」が育った出来事
もうひとつの大きな学びは、**「日本を外から見る視点」**が得られたことです。
ある日、アメリカ人の先生に「杉原千畝(すぎはら ちうね)って知ってる?」と聞かれました。
正直、そのとき私は全く知りませんでしたし、当時、日本人の中でも知られていない人物でした。
後に知ったのは、彼が日本政府の命令に背いて多くのユダヤ人を救った外交官であるということ。
しかし当時の日本の教科書には載っていませんでした。
この経験を通して、「歴史や情報は、誰かの都合によって編集されている」という現実を肌で感じました。
留学が導いた未来:グローバルな視点で仕事を選ぶように
そして4つ目の学びは、将来への明確な道しるべを得たこと。
帰国後、東京で、私は英語を活かせる商社に就職しました。
2000年代以降、テクノロジーの進化とともに、グローバル化は一気に加速。
「日本国内だけを見るのではなく、世界とつながる仕事がしたい」という想いと、想いを具体的に次のステップに移すことが出来たのは、この留学でした。もし、留学する事が無ければ、東京ではなく地元で就職し、実家に引きこもっていたかもしれません。
留学を振り返って
半年という限られた時間でしたが、得られたものは計り知れません。それは単にTOEIC点数が劇的に上がるだけではなく、
- 今では考えられない不便な環境が、自立心と行動力を育ててくれたこと
- 外から見ることで、日本という国の姿がよりクリアに見えたこと
- そして、英語を通じて世界と関わる未来を描けるようになったこと
そう胸を張って言える、かけがえのない経験でした。
日本にいながら、あらゆる情報でも映像でも手に入る今だからこそ、より一層「体験する、体感する」ことが貴重なんだろうな、と思います。