先日、タイを旅してきました。
お寺や街並み、美味しいごはんや優しい人々…いろんな魅力に触れる中で、日本とタイの違いにいくつも気づかされました。今回はその中でも、「仏教のかたち」「交通の価値観」「経済インフラの違い」について、自分なりに感じたことをまとめてみます。
スタバのコーヒーで感じた「円安」
まず何より、旅の最初に感じたのは円安の現実。
バンコクの空港に着いて、スタバでラテを注文。あとでレシートを見て、「あれ?東京より高い…?」
「物価の安い国」という印象を抱いていたけど、いざ現地で支払うと円安のダメージをしっかり実感。ラテ一杯で為替の厳しさを味わうなんて、ちょっと予想外でした。
タイの仏教は「インド直送」
タイといえば仏教の国。町を歩けば、黄金に輝く寺院があちこちにあります。
でもその寺の形や雰囲気が、日本のものと全然違うことに驚きました。
よくよく調べてみると、タイでは「上座部仏教(テーラワーダ)」という宗派が主流で、これはインドから比較的ダイレクトに伝わった仏教なんだそうです。
一方、日本の仏教は、中国を経由して伝わった「大乗仏教」。だからお寺の雰囲気や建築も、どこか中国風だったのか…と、実感として納得しました。
インターネットや飛行機がなかった時代、「地理的な近さ」が宗教や文化の伝わり方に大きな影響を与えていたんだなと、あらためて感じました。
そして、「諸行無常」「沙羅双樹」といった言葉も、昔は日本独自の美意識だと思っていたけれど、元ネタはちゃんと仏教にあったんだと改めて知る機会にもなりました。
「車を作る国」と「そうでない国」
そして、街を歩いていてふと思ったのが、道路インフラに対する考え方の違い。
バンコクの街は想像以上に都会で、東京と変わらないレベルのビル群が立ち並んでいます。
だけど街の作りやインフラの考え方は、やっぱり違っていて面白い。
特に印象的だったのが道路事情。一方通行が多くて、地図上ではすぐ近くなのに車で行くと大回りになる。渋滞も多くて、「川を船で移動したほうが早い」なんて場面もあるそうです。
東京で「隅田川を船で移動」なんて考えませんよね。
でもバンコクではそれが現実的。道路が詰まってたら川を使う。その柔軟さ!
タイでは、トヨタやホンダなどの日本車をはじめ、中国車や韓国車も多く見かけます。でも、自国の“国産車”はほとんどない。
そういう国だからこそ、「道路インフラ=自国の経済を支える柱」にはなっていないのかもしれないと感じました。
日本はトヨタ、ホンダ、日産といった自動車メーカーを持ち、「どう車を快適に走らせるか」「どう売るか」が国の経済の土台のひとつ。
だからこそ、道幅や整備、渋滞対策にものすごく投資してきたわけです。
でもタイでは、「いかに車を走らせるか」よりも、「どう移動するか」の柔軟さがある。
渋滞しててもOK。トゥクトゥク、バイクタクシーもあるし、船で移動すれば早いこともある。
その“なんとかなる感じ”が、不思議と居心地よくて、ちょっと羨ましくさえ感じました。
鉄道で知った、更新しないという選択
そんな「なんとかなる精神」は、鉄道にも。
もちろん、タイにもエアコン付きの快適な特急列車はあります。
でも一方で、昭和っぽさ全開のローカル列車も現役で走っています。
・エアコンなし
・トイレなし
・窓は開かないか、閉まらない
・連結部分を外から渡れる(しかも走行中)
日本なら即「危ない」「古すぎ」と言われそうな車両も、**「まだ動くなら使う」**という姿勢で日常に溶け込んでいました。
でも、そのぶん運賃は激安。
日本円にして90円くらいで何百キロも移動できる。このコスパと“割り切り感”がすごい。
何でもすぐ更新、改善しようとする日本とは、また違う“時間の流れ”を感じました。
“当たり前”が違う”
宗教も、交通も、車も、鉄道も。
タイを旅して一番感じたのは、「“当たり前”は、国によってまったく違う」ということでした。
日本では当たり前に整備された道、ピカピカの電車、静かで格式あるお寺。
でも、それは“日本の当たり前”であって、世界の共通ルールじゃない。
東京と同じくらいの都会感、かつ、あくせくしすぎずに生きているタイの空気感に、肩の力がふっと抜けるような気がしました。
自分の“当たり前”を揺さぶってくれるような場所を旅行しに行きたいと思います。