「どんな人にも優しくあるべき」という思い込み
私たちは育ってきた環境や教育の中で、
「どんな人にも優しく」「性善説に基づいて接するべき」
という教えを自然に身につけてきました。
そのため、
・どんなにひどい扱いを受けても、自分が耐えるべきだ、変わるべきだと思い込んだり、
・優しさをもって接すればきっと解決できると信じてしまうこともあります。
それでも付き合いが難しい人はいる
けれど、現実には、どうしても付き合いが難しい人たちもいます。
たとえば、
- 正論ばかりを振りかざしてくる人
- マウントを取って優越感を示そうとする人
- すぐに怒りを爆発させる人
- 愚痴ばかりを言って周囲を巻き込む人
彼らはときに、自分本位に振る舞い、他人を無理に支配しようとすることも少なくありません。そういう人々は、距離を取る、断捨離してもいいのです。
無理に耐えなくていい
そうした相手と無理に関わり続けることは、
自分の心や体に深刻なダメージを与える危険があります。
ここで一番大切にしたいのは、
**「自分を責める必要はまったくない」**ということです。
- あなたが優しさを持って接したこと、努力して関わろうとしたことは、決して間違いではありません。
- それにもかかわらず、理不尽な扱いを受けたなら、それはあなたの責任ではありません。
出会いはあなたの挑戦の証
基本的には「類は友を呼ぶ」と言われるように、
性善説で行動していれば、同じように性善説で生きる人々が自然と集まってきます。
けれど、人生を長く歩んでいく中で、
どうしても関わるべきではない人々に出会うこともあるでしょう。
それは決して、あなたが間違ったからではありません。
むしろ、あなたがコンフォートゾーン(居心地の良い場所)にとどまらず、
新しい世界にチャレンジしている証拠でもあるのです。
だからこそ、自分を責めるのではなく、
「よくここまで挑戦してきた」と、自分自身をねぎらってあげてください。
逃げることは賢い選択
もしその関係があまりにも重たく感じるなら、それはたとえ、職場の上司であっても、
逃げること、距離を置くことも大切な選択肢です。
逃げることは、決して「弱い」ことではありません。
むしろ、自分の心と体を守るための賢い決断です。
そして、新しいステップに進むための、大切な第一歩でもあります。
「諦めること」への後ろめたさを手放す
日本には「有終の美」という言葉があり、
何かを最後までやり遂げることが美徳とされてきました。
そのため、「途中でやめる」「逃げる」という選択に、
後ろめたさを感じてしまうことも少なくありません。
けれど本来、「諦める」という言葉は仏教由来で、
**「物事を明らかに見きわめる」**という、前向きな意味を持っています。
また、ビジネスの世界では「出口戦略(Exit Strategy)」という言葉もあります。
最初に計画を立てても、出口をどこに設けるか、いつ終えるかを見きわめるのは案外難しいものです。
しかし、終わり方を自分で選び取ることは、未来を切り開くために欠かせない力でもあります。
自分にとって大切なものを見極める勇気を
付き合いが難しい人に出会ったのは、あなたが挑戦している証拠
自分を責めず、距離を取るのも賢い選択
人間関係も時には断捨離していい、「終わること」は、次への始まり
自分に取って本当に大切なものを見きわめる勇気を、それもまた、美しい選択のひとつなのです。