When My Name Was Keoko (著) Linda Sue Park

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作品データ When My Name Was Keoko

  • タイトル: 『When My Name Was Keoko』
  • 著者: Linda Sue Park
  • 総語彙数: 約 37,000語 / YL 5.0-5.5
  • 舞台: 1940年代、日本統治下の朝鮮半島

10回の渡韓で見えなかった「心の奥底」に触れる

韓国ドラマに夢中になり、本場の焼肉を楽しみ、渡韓回数は10回以上。私にとって韓国は非常に親しみのある国です。

  • 知られざる空白: しかし、日本が韓国を植民地支配していた時代のリアルについては、どこか「触れてはいけないタブー」のように感じ、深く知る機会を避けてきた部分がありました。
  • 多読がくれたきっかけ: 洋書多読の一環で手にした 韓国系アメリカ人 Linda Sue Park 氏の『When My Name Was Keoko』。この一冊が、日本での教育やメディアではなかなか語られない「韓国人側の視点」から見た1940〜45年の朝鮮半島へと、私を導いてくれました。

奪われた言葉と、漢字がつなぐアイデンティティ

  • 「話せるけれど、読めない」不条理: 強制的に日本名を名乗らされ、学校では徹底した日本語教育を受け、自分たちの母国語である韓国語を「読み書き」することが許されませんでした。
  • 漢字という共通項: 主人公の少女が漢字に魅せられ、父親が「これは中国から渡ってきたものだ」と教えるシーン。日本・韓国・中国が漢字という共通の文化圏で地続きであることを、アメリカ育ちの著者(リンダ氏)が俯瞰的に描き出しています。

戦時下の日常と、突きつけられる狂気

  • 想像の中の戦場: 当時、朝鮮半島自体に爆弾が降り注いでいたわけではありません。しかし、日本軍の爆弾や戦闘機が中国や日本本土で火花を散らしていることは、少女たちの想像の中でも明らかでした。
  • 竹槍訓練の虚しさ: 近代兵器の威力を理解しているからこそ、学校で強いられる「竹槍訓練」の無意味さが際立ちます。「これで勝てるわけがない」と子供ですら悟っているのに、最後まで特攻(Kamikaze)という自己犠牲を強いた国家の末路。
  • 知らなかった事実: 特攻隊の中に、日本人だけでなく韓国人の若者も含まれていたという重い史実を、私はこの本で初めて知りました。

「反日」の背景にある、痛みへの「視点の入り口」

  • 視点を入れ替える: 植民地支配によって名前を奪われ、言葉を制限され、アイデンティティを否定される。その理不尽な日常を少女の目線で辿ったとき、「もし自分がその立場だったら」と考えずにはいられませんでした。
  • 目線が変わる瞬間: 韓国の歴史教育がなぜ「反日」的な色を帯びるのか。名前や言葉といった、当たり前のはずの日常が制限される理不尽さを知り、自分の中の歴史を見る目線がふと変わるような感覚がありました。たった一冊の本ですが、私にとって非常に大きな一歩でした。

洋書を読む「醍醐味」とは

  • 中立な言語の力: 日本語でも韓国語でもない「英語」というフィルターを通すことで、過度に感情的にならず、客観的に歴史と向き合うことができました。アメリカ育ちの著者(リンダ氏)の視点は、私たちに新しい「問い」を投げかけてくれます。
  • 漢字がつなぐ東アジアの絆: 本作の中で、主人公が漢字に魅せられ、父親からそのルーツが中国にあることを教わるシーン。戦争という悲劇的な歴史の一方で、私たちは古くから「漢字」という共通の文化を分かち合い、豊かに交流してきた事実を再認識させられました。日本に住んでいると当たり前すぎて見落としがちなこの「文化的な地続き感」に、英語の物語を通じて改めて気づかされたのは、大きな収穫でした。
  • 単なる語学学習を超える:日本語の世界だけでは出会えなかった視点を得て、自分の目線がふと変わるような体験をする。これこそが、洋書を読み進める喜びであり、冒険なのだと感じています。
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